先日、5月12日、19日にアトリエコンサートを開催しました。3回目となった今回は、私が長年住んでいたドイツ・デトモルトでお世話になっていた大家さんの「ナイさん」と、北フランスノルマンディー地方を旅した時に見た風景、エピソードから結びつく音楽を映像や絵画とともに楽しんでいただくという内容でした。おかげさまでとても良いコンサートになりました。今日は、それに向けての準備、オーボエリード、コンサートの内容などを通して思ったことを綴ってみます。

アトリエ入り口の壁には「念には念を入れよ」という言葉が掛かっています。ある人が「こういう所に掛かっているのは、もっと“ふわっとした心地良さそうな言葉“が多いのにすごく現実的」と言っていました。ちなみにこの言葉の意味は「大切なことを、過ちが起きないように十分に注意した上にも 更に注意し確認せよ」というものです。特に意識していなかったのですが、よく考えたら今回のコンサートに関する様々なことにはこの「念には念を入れよ」という言葉がピッタリと当てはまるのです。



例えばオーボエリードに関してです。細部まで準備して、その上で出た所勝負。細部の準備無しで出た所勝負ではあまりにもリスク(発音が悪い、苦しい、音程が悪いなど)が高すぎます。そこまでのリスクがありながら“本能の赴くままに““感性を第一に““勢いで“出来るほど私は器用なタイプではありません。
加えて、私はオーボエリード職人ですから、言ってみれば「そのリードに対して直前まで何らかの小細工が出来る」わけです。そこに「念には念を入れよ」が加わり結果的には最後の最後まであがいています。諦めが悪いとも言います。いつものことです。『スラムダンク』に登場する安西監督の言葉を借りるなら『諦めたらそこで試合は終わりだよ』です。良い言葉ですね!笑


今回の直前まであがいた内容は「わずかに軽く感じられる吹奏感に対して極薄のテフロンテープを追加して巻くかどうか」と言うことでした。極薄のテープを巻くことで抵抗感を少し増やし、しっかりとした吹奏感に変える狙いがあります。この「格闘する内容」は毎回異なる上に前もって内容がわかっているわけではありません。当日の天気、湿度、リードの変化の程度により決まります。


本番の2週間前から良いリードを作りためていくのですが、今回は2回とも同じリードで吹くことにしました。リハーサルの時に、少し軽く感じたリードは前回のコンサートから1週間過ぎているのでその変化は当然のことです(もちろん、毎日チェックはしています)。本番ではいつもより口の中が渇く自分の状態を思ったら、極薄のテフロンテープを一巻きした方が良いかもしれない。直前で試しました。1曲目での感触は「しっかりした吹奏感にはなったが、今度は少し硬いかもしれない。そうなると音量の幅が狭くなるかもしれない、加えて発音の方に神経を持っていかれるかもしれない」と思った私は新しく巻いた極薄テフロンテープを再び取り除きました。2曲目以降は一回発音が遅れた箇所がありましたがその他は完璧でした。表現したいことに対して応えてくれるリードでした。


ここまで読まれて、オーボエ関係の方々は「(少し大袈裟とも思うけど)わかるわー!」「(そこまでじゃないけど)あるあるー!」と概ね共感してくださる方が多いと思います。直接オーボエに関係していない方々は「え、そんなこと思ってやってんの?ありえない、大変ねぇ」などでしょうか。実際、何やってんだろうと自分でも思います。そんな細かいことを気にしたところで大きな差が出るの?と。表面的にはほとんど変わらないでしょう。しかし、演奏者の「心持ち」は全く違います。そしてその「心持ち」こそが安心に繋がり、その安心が自由な演奏、納得のいく表現へと進んでいくと私は思っています。


よくあることなのですが、2本のリードを試し吹きして誰か、オーボエでない人にどちらのリードが良いか聞いてもらうとします。その誰かはこう言います。「どっちも似たようなもの(違いがわからない)だから自分が吹きやすい方が良いのでは?」適当な反応に聞こえますが完璧な答えです。演奏者自身がもっとも心地よく感じられるリードはそのための機能が全て備わっている状態です。その準備をした結果「自分は全てやり尽くした、もうやることはない」「これで“良い意味で“諦めて臨める、起きることにも全て対処できる」と思えることこそが大事なのです。そしてこのことはオーボエリードに限らず多くのことに言えるのではないでしょうか。
語り始めると終わりがありませんのでこれぐらいにしておきましょう。「諦めが悪い」…じゃなかった、「念には念を入れよ」というテーマでオーボエリードについてのお話でした。
Viel Spass und Freude am musizieren! 音楽に楽しみと喜びを★