私がドイツのオーケストラで働き始めて間もない頃のお話しです。その当時、デトモルト音楽大学の先輩でとても尊敬していたロシア人オーボエの先輩と一緒に働かせてもらっていました。それは短い期間でしたがとても貴重なことを多く学んだ時でもありました。その先輩がある名門オーケストラに受かり今のオーケストラを去ることになり、それに伴って先輩のあとの首席オーボエを決めるオーディションが行われることになりました。2番オーボエ兼イングリッシュ・ホルンのパートだった私は、そのオーディションを受けようかどうか迷っていました。今のオーケストラで働きつつ、オーディションがあれば休みを貰いどこへでも赴き挑戦するというのが当時の私のスタイルで、誰もがそうしていた、いたって普通のスタイルでした。なので自分のいるオーケストラでオーディションがある、自信はないけど挑戦しない手はない、もしかしたら!?と思っていました。他の同僚に聞いても「いいんじゃない?挑戦するのはいいことだよ!」と皆口を揃えて言ってくれました。そんな中、そのロシア人オーボエの先輩の意見は全く違ったものでした。

「自分は賛成できない、君はこのオーディションを受けるべきではないと思うよ」最初は結構ショックでした。挑戦しようという私のやる気を正面から否定された気分でした。そして先輩は話してくれました。「何でかというと、僕の後の首席オーボエを決める、そのオーディションを同僚のみんなはどのような基準で聞くと思う?今の僕のレベルだよね、そして同僚たちは少なくても僕程度、もしかしたらそれ以上のレベルを望むかもしれない、凄く上手い受験者がいたら当然レベルは上がる、これはわかるね?そして君の今のレベルは僕より上じゃないからだ」
今でも一言一句はっきり覚えています。相当私にとって心に残った言葉だったのでしょう、ショックという意味で。そしてなぜこの時の事をこれ程まではっきり覚えているかというと、その後に言われたことが私の心に本当に印象に残ったからです。先輩は続けました「今の言い方は厳しく聞こえるかもしれないけれど、それは僕が考える君のベストの選択だと思うからなんだ。オーボエのレベルから言うと僕の方が数段上だ(こう言う事を普通に言ってのける強者の先輩でした、苦笑)、君がオーディションに受かる可能性は少ないだろう、そしてそれがオーケストラの同僚へとってネガティブな印象となる、今の君は2番オーボエ兼イングリッシュ・ホルンのポジションでの仕事をとても評価されているんだ、今オーディションで失敗して悪い印象を与えるよりも、このまま今のポジションをうまく勤めていけばもっと長い間ここで働ける」と言われました。なるほど、それは言える。私は半分より少し多めに納得しました。そして次からの言葉に心底納得しました。
「僕は典型的なソロオーボエなんだよ、首席のポジションしか吹けない。なぜかと言うと自我が凄く強いし、自分の思うようにしか演奏したくない、厄介な性格だ。バスに例えるなら行きたい所にしか運転できない自分勝手な運転手なんだ。だけど君は違う、君の場合はこれは日本人に多い特徴だけど周りとの調和を大事にする、そして耳が良い、周りをとても良く聴いていて色々なシーンで柔軟に対応できる力がある。そういうタイプの奏者はとても貴重で、バスに例えるならばバスの車体でありエンジンであり実はバスの運転の舵をとっている存在なんだよ。だから、今は君のその力をもっと発揮できるよう頑張って、そしてその先にまた新たな道が見えてくると思うよ」こんな感じだったと思います。
さっきまで「君は僕より下手だから受からないよ」という否定的な言葉ばかりかいつまんでショックを受けていた私なのに、逆にとても勇気づけられたのでした。ショックは多少残っていたと思いますが、他の誰にも言われなかった「私の特徴とそれを活かすにはどうしたら良いか」という事を話してくれたことがとても新鮮で、とにかく先輩のいう通りにしてみました。その後も長い間同オーケストラで楽しく働かせていただいたのは先輩のあの時の言葉があったお陰だったと思います。
このことからわかることは何か。

どのパートにもそれぞれの役割がある、どれが上、下という話ではない。どれも大事な役割を持っている。そして各パートに適した性格や特徴というものもある。
しかし経験が浅いうちは何が自分にとって合っているのかわからない時が多い。だからそんな時は、経験を積んだ同僚や先輩のアドバイスは時には耳に痛いこともあるかもしれないけれど聞くことも大事だということです。すぐには実行できないかもしれないけれど、真っ向から否定するのではなく頭の隅に置いておくだけでも良いと思います。後になって「ああ、これはこういうことだったのか」と思う日がきっと来ます。なぜならば、その道のプロの先輩たちは、やはり経験の浅い自分より多くのケースを見てきているし、多くの人々と仕事をしてきているので自然と人の適性を見抜けることができてくるのだと思います。
けれども、経験が少ないうちは人は突っ走るのも良いと思います。そういう時もあって良いと思います。その後人は様々な経験をして身の丈を知り、自分に合った道を進むようになります。人はたいてい他人に言われた事を頭ではわかっていても、すぐには受け入れられないもので、実際に自分の内側からその思いが湧き上がって実感しないと本当に納得いかないものなのです。私も先輩に言われて初めはショックでしたが、かけてくれた言葉が良かったこと、その先輩をとても尊敬していたので言われた通りにしました。結局、ああやはりそうなんだなあと心から感じたのはもっと後になってからでした。ところで身の丈というのは、決してネガティブではなく良い言葉だと思います。自分の事を良く知る、わかること、理解することです。モチベーションを持ち成長するためには、今の身の丈にあった地点からほんの少し上、ほんの一歩先を目指すという事を続けていくと良いのかもしれませんね。ちなみに当時働いていたオーケストラの別の同僚に「君はそんなにリードを楽しそうに作っているし、吹かせてもらったら良い感じじゃないか、リードの分野でワークショップとかしてみたら?」と話してくれたことがあります。その時は「そうだね〜〜」と適当に聞いていただけでしたが、結局だいぶ後になってですが、リード販売を始めて母校のデトモルト音楽大学で非常勤講師としてリード製作レッスンをさせて頂いたのでした。あの時すでに私の特徴を的確に見抜いて私に語りかけてくれていた元同僚たちに、今はとても感謝しています。
今日はこの辺で。今夜も最後まで読んでくださってありがとうございます。Viel Spass und Freude am musizieren! 音楽に楽しみと喜びを★(2020年3月6日)