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【エチュード】②なぜエチュードが大切なのか

音階練習、オクターブの練習、退屈なエチュード、、、。やれと言われるからこなしているけれど、一回通したらすぐに曲を吹く。本当にそれで良いのでしょうか。エチュードの意味とは?とっても意味のあるエチュードへの取り組み方について、第2回目です。今回のテーマは「エチュードが求めていることとは?」です。

ある曲の中の短いソロのフレーズを何度も何度も練習し続ける。レッスンでも見てもらう、もちろんそのソロの部分の聴こえ方は上達するでしょう。ここで質問です。ある特定の曲の中の一部分だけをひたすら練習し続けたとして、果たしてその人のオーボエの演奏技術は“練習時間に見合うほどの成長“を遂げるのでしょうか。

私の答えは「ほぼNo」です。かなり厳しい書き方かもしれませんがあえて書きます。ではなぜそう言い切るのか。それは「曲の中の一部分であるソロというのは、そもそもオーボエの演奏技術向上のために書かれたものではないこと」「特定の部分だけを“書いてある通りに“ひたすら反復練習してもその部分だけが吹けるようになるだけで、応用力はそれ程つかない」からです。

基礎的な技術が身につかないと、他の曲に取り組んでも結局は同じ問題でつまづく可能性が大きいです。ここでいう基礎的な技術とは「スムーズな発音、安定した音程、強弱の差、滑らかなレガート、均一なリズムで吹く、、」挙げるとキリがありません。ここで本領を発揮してくるのが「エチュード」です。

LUFT、HINKE、WIEDEMANN…オーボエのエチュードとしてあげられる基本的なものです。これらは8小節や16小節と短いものが多く、長いものでも1ページの半分ほどです。すぐに吹けそうな簡単で退屈そうな見た目の楽譜です。しかし「書いてあることを正確に、丁寧に、そしてオーバーに表現」しようとすると途端に大変難しい課題になります。一小節ごとに強弱が変わり、一音ごとに音の長さ指定が変わり、おまけにアーティキュレーションも様々。書いてあることを正確にそしてオーバーに表現することの難しさを痛感すると思います。

不思議なことに、書いてあることをとても丁寧に正確に、そして大袈裟に表現すれば自然と音楽的に聴こえます。それほど細かく指定されているのがエチュードです。さらに言うなら「書いてあることを正確に、そしてオーバーに表現/再現すれば作曲者の意図が聴こえる」ように楽譜というものは書かれています(例として挙げるならばマーラーです。こだわりが多すぎて演奏者に向けて楽譜に事細かに要望を書いた作曲家です)。

時間はかかりますが、そして一見退屈に見えるかもしれませんが、これらのエチュードを徹底的にさらうことにより、パッと目の前に置いた楽譜から「何調か、何拍子か、強弱は、テンポは、アーティキュレーションは、表現の指示はあるか」という情報をすぐに読み取って演奏に反映できるようになります。なぜなら、あなたにはこれらの要素をすぐに演奏に反映できるだけの基礎的な技術が身についているからです。

一見、退屈そうに見えるエチュードをいかに「音程」「調性感」「正しいリズム」「アーティキュレーション」「音量」「音の長さ」において丁寧に、正確に、そして大袈裟に表現するか。そう考えたら、退屈なエチュード、とは思えなくなると思います。試してみてください。今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。Viel Spass und Freude am musizieren! 音楽に楽しみと喜びを★