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【大事な言葉】③感じるがままに

演奏のこと、リードのこと、奏法のこと、色々と記事を書いていますが、この「大事な言葉」も私にとってとても重要なカテゴリになっています。ドイツの音楽大学で学んでいたときは、ドイツ語の問題もあり、とにかく毎回のレッスンのこと、言われたこと、レッスンだけでなく周りの頼りになる人たちにかけてもらった言葉を文章に残していました。2年ほど前からその膨大なメモ(日記)をまとめて大きなファイルに閉じていきました。その中で「ああ、この言葉はあの人に言われたことだった、師匠のこの言葉、実行しているよ」と言うものもあれば「ああ、これはまだ自分も模索中だ」と言うものまで様々です。こうして皆さんにお話しすることは、私が特に心に残っている言葉、皆さんに聞いてほしい言葉ばかりです。

ドイツの音楽大学で学んでいた時、ことあるごとにオーボエクラスの皆と教授でイタリアンレストランへ行き、遅くまで話し込んでいました。だいたいが教授のお話しを皆が聞いている、そして教授はおそらく同じ内容を何度も話されていると思います。今日のテーマは

感じるがままに表現して演奏するんだ

と言うことについてです。これは教授が何度も話されていました。当時のメモを頼りに書いてみようと思います。

音楽を演奏/表現するとき、ただ一人の人への愛でも良い、そしてその曲に対する深い、普遍的な愛でも良い、とにかく心の底からうううう、、、と湧き上がってくるのだ、何か熱いものが。だから、感じるままに吹けばいい、息はそのまま私の思い、心、魂となるんだ。

そう言った後で、教授はこうも言っていました。

自分は時々、どうして音楽をやっているのかわからなくなる。どんなにテクニックがあっても、音が素晴らしくても、全く心に響かないこともある、と思うと何かわからないけれども、心にジーンときて泣き出したくなることがある。けれど、それがどうしてだかはわからない。。。

その時のメモの最後に私は、「私はまたしても、前者の話を聞いて泣きそうになった」と書いています。教授は本当に芸術家でした。普段はとても厳しく、自分の興味や求めるレベルに達していないレッスンだと、明らかに「それなりに」レッスンしてくれているというのがよく感じられました。自分の準備が足りない、理解、想像力が足りない、これに尽きます。しかし、いざとなったら教授は「自由に演奏してみろ」「感じるままに」と言ってくれてそして最後には全てを「私自身の演奏」として聴いてくれる、そんな人でした。そんな気まぐれだけれど教授の「誰にも真似できないようなキラキラした太陽のようなオーボエの響き」にどうやって近づけるんだろうか、と皆が毎日模索していたのでした。私は心の中で「師匠の音はまるでパバロッティみたいだな」と思っていました。

もちろん、上手な演奏のためには基本的なテクニックは必要です。良いリードもあるにこしたことはありません。けれど、本当は、私たちは、心の中にどんな思いを持っているのか、その曲に対してどんな思い、愛を持っているのか、そのことこそが演奏に命を、音楽に命を吹き込んでいくための力の根源になるのではないか、と私は思います。今日のお話しは少し抽象的になってしまいました。最後まで読んでくださってありがとうございます。(最初の写真は音楽大学の建物と大学の庭園です。かつてLippe候の持ち物で貴族の方々が住んでいた歴史ある建物と庭園です )

Viel Spass und Freude am musizieren!! 音楽に楽しみと喜びを★(2020年6月15日)